2009-01-01から1年間の記事一覧

「こどもの国」の住所は

こどもの国の住所は〒227-0036 横浜市青葉区奈良町700 という所にあり、運営主体は社会福祉法人こどもの国協会という。http://www.kodomonokuni.org/index.html これを見ただけではここが「弾薬庫」の跡地に作られたことは分からない。 何かを隠しているとし…

こどもの国

『こどもの国』をご存知だろうか?現天皇の結婚記念に公園化された処だ。 ここは、第二次世界大戦中『東京陸軍兵器補給廠田奈部隊・田奈部隊』と呼ばれ、園内の森には高射砲や手榴弾などの砲弾を作る工場とたくさんの弾薬庫があったところだ。強制的に買収さ…

ブンカの日=まんがの日

今日はブンカの日。 昭和21年、日本国憲法が公布されたことを記念して、昭和23年に公布・制定された祝日法で「自由と平和を愛し、文化をすすめる」国民の祝日に定められた。 戦前は、明治天皇の誕生日であることから「明治節」という祝日だったので、何らか…

蚕繁盛

上州名物かかあ天下を支えたのは? 年貢の高い田から手を引き、年貢の安い畑や山林原野を開き桑を植えるまでは男の仕事。 蚕を飼い、繭を作らせ、糸を吐かせて生糸にし、織物にするのは女の仕事。これらは現金化することができ、女の働きが収入の多寡を決め…

稗史

博徒、侠客などアウトローを描いたものが「正史」ではない「稗史」の世界。 国定忠治や清水次郎長はよく知られているが、高橋敏先生の「博徒の幕末維新」(ちくま新書)は、竹井安五郎=ども安、黒駒勝蔵、水野弥三郎、勢力富五郎、石原村幸次郎など、幕末か…

大原幽学

大原幽学は、報徳社やロッチデール公正先駆者組合に先立つ1838(天保9)年に下総国長部村(現在の千葉県旭市)に先祖株組合(農民による生産組合)をつくった。 この組合では、構成員が所有地の一部を出し合って、そこからあがった収益を積み立てておき、生…

下山崎「ふれあいフェスタ」終了

我が町内会最大のイベント「ふるさとふれあいフェスティバル’09」を無事終える事ができた。小雨降る中、新型インフルエンザで学級閉鎖もあったが、準備よろしく行った。 なぜこのイベントを開催するに至ったかは、いずれご報告しよう。 焼きそば、フランクフ…

尊徳の仕法

わが国の協同組合思想の芽ばえは、江戸時代末期の二人の農村指導者の実践にみることができる。 その一つは二宮尊徳(金次郎)の指導による報徳社である。報徳仕法に基づく報徳社は1843(天保14)年に小田原(神奈川県)に設立された後、門下生によって各地に…

積小為大を知る尊徳さん

小田原には「尊徳博物館」「尊徳神社」「尊徳記念館」がある。昨日その3ヶ所を訪ねてきた。 焚き木を背に本を読む二宮金次郎(戸籍上正しくは金治郎)像は約1000体が全国の小学校向けに鋳造されたそうだが、実際は焚き木を二つの束にして天秤棒で肩に担いだ…

穏やかな

今日一日穏やかな日だった。午後5時を過ぎたから過去形でいいだろう。 そろそろ晩酌の準備をしなければ。 今日の肴は、鯖の味噌煮、牡蠣フライとしよう。 日本酒で鯖をいただき、ワインで牡蠣とするか。 何も書く事のない日。これが平穏ということなのだろ…

オケプロ

なんだかしらないが誘われるままに、オーケストラ・ブロジェクトという作曲家グループのコンサートに行ったけど、四曲演奏される、三曲を聞いたら急にビールが飲みたくなって会場を後にした。 三曲の作者は、小鍛冶邦隆、中川俊郎、法倉雅紀。聴かなかったの…

失敗するコツ 2

事業に失敗するこつ 十二箇条 玉子屋の初代社長・菅原勇継氏の「コロンブスの玉子屋」から その1 旧来の方法が1番よいと信じていること。 その2 餅は餅屋だとうぬぼれていること。 その3 ひまがないといって本を読まぬこと。 その4 どうにかなると考えて…

失敗するコツ?

事業に「失敗するこつ」を玉子屋の初代社長・菅原勇継氏の著書から伝授。 その1 旧来の方法が1番よいと信じていること。 その2 餅は餅屋だとうぬぼれていること。 その3 ひまがないといって本を読まぬこと。 その4 どうにかなると考えていること。 その…

伸びきったパンツのゴム

「伸びきったパンツのゴム」は何の役にも立たないということか? はたまた、邪魔になるだけか? でもなく、取り替えるしかないということか? きっと、捨てる事になる。 そう言えば、ある時同僚と打ち合わせをしていた時に、「あの人は伸びきったゴムみたい…

バカな慎太郎

石原都知事はオリンピック誘致に150億円使って失敗したことを全く反省していないばかりか、日本のどこかの都市がオリンピック誘致をするなら(自分が生きていたらという前提で)その経験からアドバイスをするんだそうだ。 石原慎太郎なんて人はすでに政治生…

台風一過、雪が降って

北海道では台風一過、峠や山では雪が降っているそうだ。 この時期に台風が来るのも珍しいような気がするが、すでに19号が天気図には…。

台風18号

久し振りに台風が上陸して、強い風が吹き、雨が一晩中窓を叩いていた。 我が家の狭い庭は置いてあったものが落ち葉とともに散乱している。 風は止まないが、8時半過ぎ陽が射してきた。電車も運転見合わせや、運休になっているようだ。 遅い出勤で驚いたこと…

不易流行 その3

「in haiku」ではなく「in education」について聞きたかったんだわ。 当方としては「in JA」を探っているところだ。 「教育なくして協同組合はない」と言われるこの組織にとって、「不易」は組合員「教育」であり、「流行」は役員・職員「教育」だと思ってい…

不易流行その2

久し振りにこの頁に元教師がコメントしてくれた。 「不易流行」は俳諧の世界の言葉であるが、実業の世界に、教育の世界に、そして生きていく上でも必要な大事なことであると思う。 ネット検索していたところこんな英訳があったが、元英語教師としてのコメン…

不易流行

ある雑誌で「不易流行其基一也」という言葉を見てひどく感心した。 芭蕉が「奥の細道」の旅の間に体得したものと言われている。 不易=世の中が変わっても変えてはいけないもの 流行=どんどん変わっていくもの変えていかなければならないもの 其基一也=そ…

昭和史の20年からの教訓

歴史から何を学ぶか。半藤さんは歴史を正しくきちんと学べば「将来に大きな教訓を投げかけてくれる。反省の材料も提供してくれる。日本人の精神構造の欠点も示してくれる。同じ過ちを繰り返さないということが学べる」と語る。 そして、昭和史の20年から示さ…

五・一五事件の意味

半藤さんは語る。 五・一五事件が起きてから、陸軍・海軍も含め軍部に逆らうと命が危ないと感じた人は多く、マスコミも右へならへをしていった。 昭和7年5月15日に、犬養毅首相が射殺され明治以来の政党政治が息の根を止められ、斎藤実海軍大将が首相になり…

半藤さんは語る

軍隊を持たなかった明治新政府が、薩長土三藩による御親兵(後の近衛兵)を明治4年2月創設し、その力を背景に同年7月「廃藩置県」を断行。 同年11月には総勢百名を越える岩倉遣米欧使節団を派遣。新政府は空っぽ状態に。使節団が二年後に帰ってくるまでの…

半藤さんの昭和史

三度、半藤氏の本(語り)について 半藤さんは、1865年(慶応元年)を日本の開国とし、新しい国づくりが始まり、日清・日露戦争を通じて近代国家として認められるまで40年かかり、その後40年で滅ぼしてしまったのが1945年(昭和20年)としている。 そして、…

薩長対賊軍

廃藩置県が行われたのが、明治四年のこと。 261の藩は、三府三百二県に改められた。朝敵だった藩は、その名前さえ名乗らせてもらえなかった。西軍の東軍差別はその後も昭和の時代まで続き、対米英戦争時に陸海軍の中枢にいたのは、薩摩、長州、土佐出身の人…

錦の御旗

慶応四年(1868)1月のこと。 鳥羽伏見の戦い。幕府側の軍勢一万五千、対する薩摩、長州、土佐などは長州の主力が到着していないので五千足らず。薩摩軍が二十門の大砲を持っていたとしても、圧倒的に幕府側は有利。 しかし、錦の御旗が効を奏したのか、徳川…

土日千円の高速は

岩手の江刺まで、稲刈りの準備の手伝いをしての帰り道だが、高速千円の影響で渋滞が発生している。 これまでと違う様子は姫ドライバーとバイクが増え、遠方ナンバーの車が増えたこと。 岩手産の枝豆とカボチャがバッグに入っている。ビールが楽しみだ。

文久2年

英国公使館が長州の下級武士によって焼き討ちされたのが、文久2年12月のこと。 下手人は高杉晋作、久坂玄端、伊藤俊輔、志道聞多(井上馨)、品川弥二郎など12人。 集まった遊郭に丸めた火薬玉を忘れたまま出動。焼き討ちはうまくいったものの、忘れた火…

司馬遼は

半藤氏の「幕末史」を読むと、司馬遼太郎はありもしないことや、あったことをないように書く人であったらしいことがわかる。 山ほどの資料を金に飽かせて集めておきながら、そういうことを平気でするような遼太郎という作家の本は嘘があるから読まないほうが…

維新

半藤氏の「幕末史」に、「上からは明治だなどといふけれど、治まるめい(明)と下からは読む」と当時は狂歌にうたわれていたとある。 いつ頃から「維新」と言うようになったのだろう? その答えは、明治2年9月、薩長土肥の連中への論功行賞を贈った時のこと…