錦の御旗

 慶応四年(1868)1月のこと。 鳥羽伏見の戦い。幕府側の軍勢一万五千、対する薩摩、長州、土佐などは長州の主力が到着していないので五千足らず。薩摩軍が二十門の大砲を持っていたとしても、圧倒的に幕府側は有利。
 しかし、錦の御旗が効を奏したのか、徳川慶喜は戦おうとせず江戸へ逃げた。
 慶喜は朝敵となりたくなかったのか。錦の御旗は彼にとっては逆らうべくもないものだったのでしよう。
 何をするにしろ、象徴とか、スローガンは必要なもののようで。