薩長対賊軍

 廃藩置県が行われたのが、明治四年のこと。
 261の藩は、三府三百二県に改められた。朝敵だった藩は、その名前さえ名乗らせてもらえなかった。西軍の東軍差別はその後も昭和の時代まで続き、対米英戦争時に陸海軍の中枢にいたのは、薩摩、長州、土佐出身の人ばかりだった。

 永井荷風は、大日本帝国薩長がつくり、薩長が滅ぼしたという意味のことを書いているが、まさにその通り、と半藤氏は「幕末史」で語っている。