半藤さんは語る

 軍隊を持たなかった明治新政府が、薩長土三藩による御親兵(後の近衛兵)を明治4年2月創設し、その力を背景に同年7月「廃藩置県」を断行。

 同年11月には総勢百名を越える岩倉遣米欧使節団を派遣。新政府は空っぽ状態に。使節団が二年後に帰ってくるまでの間に、朝敵の大赦、宮中の女官免職、学制公布、鉄道開業、太陽暦採用、徴兵令公布、征韓論の議論、地租改正条例公布、と矢継ぎ早の改革が断行された。

 そして、国内の改革に続き外交問題にも手をつけようとする。
 隣国の李氏朝鮮は新政府の国交締結の要求に梨の礫。
 失礼な朝鮮に西郷さんは抗議の使節として交渉に赴こうとした。
 しかし、急遽帰国した岩倉さんと大久保さんが大反対。征韓論争が起き、結局は西郷・副島・板垣・江藤・後藤らが下野。
 言わば新政府内の権力争い。国づくりよりも誰が権力を握るかと言う争いに過ぎないと半藤さんは語る。
 権力争いに敗れた人たちは…。