積小為大を知る尊徳さん

 小田原には「尊徳博物館」「尊徳神社」「尊徳記念館」がある。昨日その3ヶ所を訪ねてきた。

 焚き木を背に本を読む二宮金次郎(戸籍上正しくは金治郎)像は約1000体が全国の小学校向けに鋳造されたそうだが、実際は焚き木を二つの束にして天秤棒で肩に担いだそうだ。
 元々大きな農家に生まれたが、お父さんが体が弱く、加えて人が良いため、困ってお金を借りに来る人があれば貸し、他人の借金の保証人になるなどして、持っている田畑を失い、亡くなってしまった。兄弟はばらばらになり、金治郎少年は伯父さんの家に預けられた。

 本を読む事が好きだった金治郎は、燈油を惜しむ伯父に叱られ、自分で菜種を蒔き燈油を手にいれ読書をしたそうだ。また、捨て苗を拾って植え、1俵の米を収穫するなど苦労を重ね、「積小為大=小を積みて大となす」の理を知ったそうだ。
 そうした苦労を重ね、数えで24歳の頃には1町5反の田地を持つまでになった。

 その後小田原藩家老・服部家の若党となりその家政建て直しにあたり、実績を認められ、小田原藩大久保家の分家であった旗本・宇津家の知行所であった下野国・桜町領の荒廃復興に当たった。

 尊徳さんの偉いところは、その復興に当たって、村々を回村=診て回り、芋ごじ=村民との話し合いによって復興をしたところにある。